その傍ら、若き頃の
柳田國男との出会いから
民俗学に傾倒し、三田の自邸の車庫の屋根裏に
[港区三田にあった旧渋沢邸は、現在青森県三沢市の古牧温泉渋沢公園に移設展示されている。三田の跡地は全省庁共用の三田共用会議所となっている。]、二高時代の同級生とともに動植物の標本、化石、郷土玩具などを収集した私設
博物館「アチックミューゼアム(屋根裏博物館)」を開設(第二次大戦中に日本常民文化研究所と改称
[戦争半ば過ぎに、アチックなる西洋人が住んでいるのかと度々尋問されたので対外的に常民文化研究所と改められた。「自序」『祭魚洞襍考』岡書院、1954年、1ページ。])。アチックミューゼアムに収集された資料は、東京保谷の民族学博物館を経て、現在の
国立民族学博物館収蔵資料の母体となった。常民文化研究所は
神奈川大学に移管された。