浜松尋常小学校のオルガンは1887年にアメリカから輸入され寄付されたリードオルガンで45円であったという。寅楠は修理の際にこの構造を模写し「自分は3円で造る自信がある」と言ったという。
当時浜松で飾り職人をしていた
河合喜三郎と協力し2ヶ月後にオルガンを完成させたが、浜松の小学校や静岡の師範学校での評価は低かった。そこで東京の音楽取調所(現
東京藝術大学)まで徒歩でオルガンを担いで運び
伊沢修二に評価を聞いたところ「
調律が不正確」であることが原因であることが解った。そこで、寅楠が1ヶ月音楽取調所で音楽理論を学び、再びオルガン第2号を製作した。