国葬 wikipedia|無料辞書
国葬(こくそう)とは、
国家に功労のあった人の死去に際し、国家の儀式として、国費をもって行われる
葬儀のことである。
◆ 日本における国葬
◇ 戦前
戦前の
日本では、
明治以降、国葬をすべき必要が生じた場合に応じて「特ニ国葬ヲ行フ」とする
勅令が個別に発せられていたが、
1926年(
大正15年)
10月21日に国葬令(大正15年勅令第324号)が公布され、国葬についての根拠法令が一般的に整備された。
国葬令によると
天皇・
太皇太后・
皇太后・
皇后の喪に服することの儀式(葬儀)については、特に「大喪儀」(たいそうぎ・たいもぎ)と言い、国葬が行われた(下記一覧表には不掲載)。また7歳以上で死去した
皇太子、
皇太孫、
皇太子妃、
皇太孫妃、及び
摂政たる皇族の葬儀はすべて国葬とされ(ただし明治以降において該当者が死去した例はない)、天皇、皇族以外の国家に功績ある臣下が死去した場合にも天皇の特旨により国葬が行われた。なお、皇族においても特に国家に功労があった者が死去した場合には、通常の皇族の葬儀ではなく特別に臣下同様の国葬が行われた例がある。たとえば戦前最後の国葬となった
閑院宮載仁親王など。
◇ 戦後
戦後、国葬令が失効したことにより、それによって規定された国葬はなくなった。戦後、国葬を行った例は
1967年に死去した
吉田茂のものが唯一である。これは、
閣議によって国葬と決し、かつ宗教色を廃して行なわれた。
現在、国家に功績があったとされる政治家の葬儀は、
内閣、所属した
政党、所属した
国会の議院、及び故人の家族ないしはそれらのうちの合同で行うことが多い。
皇族の場合、天皇の葬儀の一部に限って、国の儀式である「
大喪の礼」として行われ、その費用が国庫から支出される(
皇室典範第25条)。戦後の「大喪の礼」としては、
1989年に崩御した
昭和天皇の例がある。その他の皇族については、その葬儀の呼称にかかわらず、
皇室が主宰する儀式となっており、いわゆる国葬としては取り扱われていない。
戦前・戦後を通じて、普通国葬は
首都東京で行われるが、例外的に
島津久光の国葬は死去した地である
鹿児島で行われた。
◇国葬の例